失敗しない・人生のメンターの見つけ方、探し方

人生のメンター(先生)を見つけていますか?

 

みなはぴ探検隊・オブザーバーのMinna です。

今回は、自分の人生の先生、メンターの探し方と言うテーマでお話をしていこうと思います。

 

皆さんは何かを学ぼうと思ったら「先生」を探しますよね?ピアノ教室、ヨガ教室、ゴルフ教室etc・・・

 

学ぶ対象は何でも良いのですが、おそらくどこかの教室を探してその教室の先生から何かしらを学ぶと言う手順を踏むと思うのです。

では、「生き方」もしくは「人生」と言うことを考えた時に「先生」を探した経験がありますか???

今回は、そんな内容に触れていこうと思います。

 

人生のメンターは何人いても良い!!!

 

自分自身が子供だった時代には、親が自分のメンター(先生)でした。

わからないことは何でも親に相談していたし、親の背中を見て育つと言うのはよく言ったもので、親のいう通りに行動したにせよ、逆に親みたいになりたくないと、自分の親が反面教師になった人もいるかもしれませんね。

大人になって社会に出ると、社会人の先輩方が自分の人生の先生になったりする場合もあると思います。

私の場合は、

・若い頃から親がいなかったということもあった

 

・早い時期に自営業の道にはいってしまった。

こんな理由から、仕事の上での先輩もいなかったことから、

相談するとなると自分の配偶者(夫)、もしくは、一緒に仕事をしていた仲間位のネットワークしか持っていませんでした。

そんなこともあり、なんとなくですが

 

将来はこうなりたいな・・・

 

と思う人を見つけては、勝手にその人をメンター(先生)にするというクセを身につけていました。

このメンターというのは、本当に身近な人で良いと思っています。

例えば、私の場合で言えば・・・

 

・ビジネス上の友人

・会社員時代の仕事仲間

 

・主人のお母さん(義理の母親)

 

・他界した母親
・お茶(茶道)の先生

 

・お茶(茶道)の同門の先輩方

 

・ピアノの先生

 

・本を書いている人たち

 

etc…..

 

たまたまですが、私の場合はピアノを教えるという以外に、

別のビジネスをやっていた時期もあったので、ビジネス社会でのネットワークにも恵まれていて、その度にそう言った方々から学ぶことも多かった気がしています。

 

そして上記の人たちは、私の年齢とともに「くるくる入れ替わっている」気がします。

何歳の頃はこの人だったけど、その1年後はこの人、その2年後はこの人という感じです。

 

つまり、これらの人たちが、自分がこうなりたいと思う枠の中に出たり入ったりしてくるというイメージです。

 

例えば、以前は、この人みたいになりたいな・・・と思っていた人でも、歳とともに憧れが薄れてきたり(汗)

 

でも、こういう場合は、その方々の魅力が薄れてきたのではなく、実は私は求めるものが変わってきたのかな???という気もしています。

 

そして、上記の方々は、残念ながら憧れの人の枠からは外れてきてしまっているというのが現状です。

(多分、私の方が通り過ぎちゃったのかな???という気がします)

 

詩ですら、メンターになり得るという話

 

この20年以上、私のメンターのままであるという人(物)があります。

そのメンターのひとりが詩人の茨城のり子さんです。

 

私が彼女と出会ったのは15年ほど前。新聞の雑誌広告に茨木のり子さんの「寄りかからず」という詩が発刊されてその広告が新聞に掲載されていたのを目にした時です。

この「寄りかからず」という詩は、中に掲載されている「詩」そのものが私のメンターにもなっています。(いまでもメンターです)

 

私自身は、当時、まだ子供も小さかったけれど、

私は今後、この詩のように生きていきたいと感じたのです。

 

なので、「詩」ですら、自分のメンターにはなり得ると思っているのです。

 

そういう意味では、もし漫画が好きでその漫画の中にとても腑に落ちる言葉があれば、それはメンターになり得るのかもしれませんね。

 

茨城のり子・寄りかからず

 

〜 寄りかからず 〜

 

 

もはや

できあいの思想には倚りかかりたくない

 

もはや

できあいの宗教には倚りかかりたくない

 

もはや

できあいの学問には倚りかかりたくない

 

もはや

いかなる権威にも倚りかかりたくはない

 

ながく生きて

心底学んだのはそれぐらい

 

じぶんの耳目

じぶんの二本足のみで立っていて

なに不都合のことやある

 

 

倚りかかるとすれば

 

それは

椅子の背もたれだけ

 

(茨木のり子さん 73歳の時の作品 詩集「寄りかからず」より)

     → この詩集の中の一編です。

茨城のり子・マザー・テレサの瞳

 

もう一編、私のメンターの1つになった詩があります。

 

マザー・テレサの瞳は

 

時に

猛禽類のように鋭く怖いようだった

 

マザー・テレサの瞳は

 

時に

やさしさの極北を示してもいた

 

二つの異なるものが融けあって

妖しい光を湛えていた

 

静かなる狂とでも呼びたいもの

 

静かなる狂なくして

インドでの徒労に近い献身が果たせただろうか

 

 

マザー・テレサの瞳は

 

クリスチャンでもない私のどこかに棲みついて

 

じっとこちらを凝視したり

またたいたりして

中途半端なやさしさを撃ってくる!

 

鷹の眼は見抜いた

 

日本は貧しい国であると

慈愛の眼は救いあげた

 

垢だらけの瀕死の病人を

 

・・・・なぜこんなことをしてくれるのですか?

 

・・・・あなたを愛しているからですよ

 

 

愛しているという一語の錨のような重たさ

自分を無にすることができれば

 

かくも豊穣なものがなだれこむのか

 

 

さらに無限に豊穣なるものを溢れさせることができるのか

 

こちらは逆立ちしてもできっこないので

呆然となる

 

 

たった二枚のサリーを洗いつつ

 

取っかえ引っかえ着て

 

顔には深い皺を刻み

 

背丈は縮んでしまったけれど

 

八十六歳の老女はまたなく美しかった。

 

 

二十世紀の逆説を生き抜いた

 

 

生涯外科手術の必要な者に

 

ただ繃帯を巻いて歩いただけと

 

批判する人は知らないのだ

 

 

瀕死の病人を

 

ひたすら撫でさするだけの慰藉の意味を

 

 

死にゆくひとのかたわらに

 

ただ寄り添って手を握りつづけることの意味を

 

 

・・・・言葉が多すぎますといって一九九七年その人は去った。

 

             

↑↑↑  これらの詩は、心を整えてくれると私は勝手に思っています。(汗・笑)

 

人でも詩でも漫画でも、あなたのメンターは何ですか?

 

自分の中でコアになるもの、自分の中の指針になるもの、それがメンターなんじゃないかな???と私は思っています。

 

そして、そのメンターは変わっても良いと思うし、

時にはお金を払って見つけても良いかも???という気もしています。

(実際、私はお金を使ってメンターを見つけるときもあります)

 

そういう意味では、教室に行くのと同じような感覚でしょうか?

本も、とても良いメンターになり得ます。

 

私は、人をたくさんコピーした(いろいろな人を知っているという意味です)そんな人の人格はすごく深いと思っている人間です。

たくさんの人と接した経験がある人は、いろいろな物の見方ができるし、情報を得る方法もたくさん知っています。

 

その分、人間としても厚みも出るんじゃないかと勝手に思っているのです。

 

人とリアルに出会うチャンスがないのなら、本やインターネット、ブログ、YouTubeなど、今の時代はたくさんの人と知り合う方法はたくさんあります。

 

そしてオススメは、日本人だけでなく海外の人ともフツーにおしゃべりをすることかな?という気もします。

 

日本人という枠が、いかに狭いか???に気づかせてくれます。

 

ぜひぜひ、あなたがこの人、この本、この詩、この文章・・・と思える何かを見つけてくださいね。

 

きっとあなたのコア(芯・根っこ)になってくれると思います。

 

機会があれば、私のコア(根っこ・メンター)になった別の詩や本などもおいおいご紹介していこうと思います。

 

今日も訪れていただきありがとうございました。

いつも応援しています。

 

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