自分の「あり方」「在り方」、存在の意味を考える

「在り方」を自然界から学び考える

Body &Mind コーチの Saaya です。

あなたはご自身の「在り方」について思いを馳せたことはありますか?

あり方というのは、自分が自分で在ること。

自分が自分で在ること・・・って、いったいどういうことなのでしょうか?

そして、そもそも在り方とはなにを指しているのでしょうか。

今回は、そんな話を紐解いて生きたいと思います。

 

在り方(あり方)って何???

 

辞書的な意味をお伝えしますと、

1:ありさま、今どのように存在しているのか
2:物事の適切な存在の仕方。物事のそうあるべき状態

となります。

つまり、簡単に言えば「存在の仕方」こそが「在り方」ということになりますね。

そして、「在り方について思いを馳せる」とは

 

 

「自分がどのように存在しているのか、

 

 

 どのように存在していたいのかを考える」

 

ということになるでしょうか。

ここでは、「自身の在り方」の判断基準について考えてみたいと思います。

存在価値は何で決まる?

 

人間はどんなことを基準に「自身の存在価値」をはかって(決めて)いるのでしょうか?

一例として、

・どれくらいの人が自分を求めてくれているのか

・資産や貯金、現金がどれくらいあるのか

・家族のためにどれくらい役に立っているのか

・勤め先のためにどれくらい役に立っているのか

・社会のためにどれくらい役に立っているのか

・日本のためにどれくらい役に立っているのか

・世界のためにどれくらい役に立っているのか

・環境のためにどれくらい役に立っているのか

……などあげ始めればキリがありませんが、

 

自身の価値が

 

「どれくらい与えることができるか」

「どれくらい求められるのか」

「どれくらい持っているのか」

 

で決まると、

考えている方も実は多いのではないでしょうか?

 


もちろん明確にこのように考えていなくても

 

「無意識」のうちに、

 

「与えることができるか」

「求められているか」

「持っているか」で

 

自分の値打ちをはかっている人もいるでしょう。

 

ただ、これらのことで自分の価値を判断している人は、

「与えることができない」

「求められていない」

「持っていない」タイミングでは

自身の価値を上げることができなくなりますし、

そもそも

 

自身に価値を見い出すことさえ難しくなります。

このような価値基準を重視する事はとても危ういです。

なぜなら、

今「与えることができているもの」「求められているという状態」「持っているもの」を、

この先もずっとキープできるとは限らないからです。

長い人生です。これらの大部分を失うタイミングもいずれ訪れるかもしれません。

 

在るだけで素晴らしいことに気づく

「与えることができなくなった」

「求められなくなった」

「持たなくなった」という状況になってしまえば、

自身の価値がいきなり下がってしまう事になりますよね。

こうなってしまったとき、それでも自身の価値を認めることができますでしょうか?

きっと難しいと思います。

だからこそ、

 

人間は

 

「自然界の在り方」

から学ぶべきなのです。

森は、在るだけで人を幸せにする?

ここでは、ある森を想像してみてください。


行ったことがある森、

自室の窓から見える森、

いつか訪れてみたい森、

パッと頭に浮かんだイメージによる森、架空の森……なんでも構いません。

どんな森でも、そこに在るだけです。

そのことについて何か説明する必要はありません。


いえ、むしろ説明することはできないのでしょう。
「在るだけ」ですからね。

森は在るだけ。


森に生命が宿っているとして、

森は自分について

 

 

「何か持っている」

 

「求められている」

 

「与えられる」

 

 

とは認識していないでしょう。

しかし、私たちは森に癒されますし、元気をもらうこともあります。


たった今、森のことを考えて心が落ち着いた方もいるでしょう。
(森林セラピーといったものも盛んですよね)

あくまで、森は何も持っていません。何も行いません。


ただ、

在るだけで、誰かの心を癒すのです。


森自身が「求められている」と認識せずとも、私たちの方から森を求めるのです。

在るだけ。

 

それだけで構わないのです。

 

「持っている」ことは重要ではありませんし、
「何か行う」ことも要点ではありません。

「求められている」と自分で無理に認識する必要もありませんし、
「これからも在り続けること『だけ』を、求められる」のです。

これを実践し、

私たちに「在り方」を学ばせてくれるのが山、森、川、海、空……などの自然界です。

さて、では「人間と人間」に置き換えて考えてみましょう。

 

人間も「在るだけ」で愛する、愛される

あなたが大事に思っている人、愛している人……をイメージしてみてください。

なぜ、その人たちのことを大事に思い、愛しているのでしょうか。

お金を持っているから?
自分を助けてくれるから?
何かを行ってくれるから?

だから大事に思うのでしょうか。だから、愛するのでしょうか?

それは、きっと違うはずです。

もしかしたら「得られるものがあるから、愛しているのかも……」と感じたかもしれません。


しかし、それは仕方がない事です。

現実的に考えて、「見返り」「ギブアンドテイク」「等価交換」などの概念は

人間関係につきものです。

ですが、それは「結果的なもの」です。

本当に愛しているのであれば、「その人が在るだけ」であっても

愛は変わらないはずですから、気にする必要はありません。

その辺りのことも含め、自分の心に問いかけてみましょう。

家族、配偶者、友達、ペット……その人が「在ってくれる」だけで、

あなたは幸福になっているはずなのです。

 

あなたは存在するだけで素晴らしい

そしてそれは、「周囲から見たあなた」にも当てはまることです。

あなたが存在するだけで

 

幸せになる人がいる。

 


単純な事実がそこにはあります。

やっぱり人間界における「在り方」は、自然界におけるそれと一緒ですよね。

私自身、哲学のクラスやセミナーに参加される方々と触れ合って感じることがあります。

それは、

その人自身が、

本当は「在るだけで素敵な存在」であるにもかかわらず、

自分自身で「自分には価値がない」と思い込んでいることです。

あなたがどんな行動をしなくても

何も持っていなくても

何の肩書きを持っていなくても

あなたはあなたで在る、

 

あなたは

宇宙で

 

 

たった1つの

 

かけがえのない命だということを

 


認めていただきたいのです。

まず、あなた自身が

「あなたで在る」こと。

 

そこに価値があるということを自然界から学んでみるというのはいかがでしょう???

あなたの中に、何かしらの答えがある

 

もし、あなたが「あなたであることだけで存在価値を感じられない」としたら?

それをあなた以外の第3者に、

「自分は、存在価値が感じられないんだ!!!」とアピールすることに何かしらの意味があるのでしょうか?

私は、個人的にはその行為は全く意味をなさないと思っています。

だとしたら、じゃぁ、なぜ自分は自分に価値がないと感じるのか?

そこを掘り下げてみるというのはいかがでしょう???

過去は変えられます。

過去に起こった事実であなたが傷ついていたとしたら、その事実は起こってしまった事実なので無かったことにはならないでしょう。

でも「受け取り方を変えること」はできます。

その事件があったからこそ、こういう考え方をするようにできたとか?

その事件のおかげで、こうなることができたとか???

その事件の存在価値をつけてあげることで、あなた自身の存在価値も上がってくるということも考えられるでしょう。

事実は1つです。

あなたは、あなたのままで素晴らしい。

そんなことを自然界から学んでみていただけたらと思います。

今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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