勝ち組、負け組の尺度では、幸せは見つけられない?

「勝ち組・負け組」の判定って誰が決めるの?

 

はぴはぴ探検隊・ひよこのSaayaです。

 

今回は「自分の行き方を見つめるにはどうすれば良いか?」という内容について触れてみたいと思います。

私自身、世の中の諸先輩方から見ればまだまだヒヨッコの部類なので、人生の道という意味ではスタート地点に近い場所にいるのだと思います。

それでも今の年齢なりに「自分の生き方を見つけるために・・・」というテーマで感じているところを書いてみようと思います。

 

 

先日、テレビで新入社員の初任給について取り上げられていました。

その内容は、入社する企業や支給給与によって、私たち日本人はそれぞれを「勝ち組・負け組」と分類分けをしていました。

その番組を見ていた私は…

「勝ち組・負け組って分類分けをする必要があるのかしら…?」

と疑問に思ってしまいました。

そして、自分の人生や体験に当てはめて、「勝ち組」「負け組」という単語は私の人生ではどうも当てはまるのか?考えてみたのです。

 

有名大学を卒業できたら「勝ち組」???

 

私は、四年制大学の法学部を卒業しています。

大学時代の成績はそこそこで、きちんとしたゼミにも所属していましたが、大学時代周りの友人たちが就職活動に励む中、一切の就職活動をしなかった人間です。

 

親の反対を押し切って、就職という道を選ばず、夢を追いかけアルバイト生活を選びました。

 

今思い返してみれば、就職活動真っただ中の中で私の在り方はちょっと浮いていたような気もします。

 

その当時、周りの人と違う道を選んだわけですが、当時の私の耳には勝ち組・負け組という言葉すら入ってこなかったのです。

 

だからこそ、(当時は)自分のやりたいことめがけて一直線だったわけですが、もう少し自分の人生を掘り下げてみると・・・

 

私自身が、以前は「勝ち組・負け組」と言った一般的な世の中の「枠」に自分を当てはめようとしていたということに気がつきました。

 

勝ち組・負け組に自分を当てはめると…

 

私が通学していた高校は「特進クラス」という成績が上位の子だけで構成される特別進学クラスがありました。

 

大学受験を目指す高校ではよくあることで、一応私も特進クラスに所属し、大学進学を目指していた一人です。

 

この当時は

 

「何のために大学に行くのか?」

 

ということを深く考えずに

 

「大学には行っておいた方が良い」

 

という理由で黙々と勉強していたような気がします。

 

高校時代は部活に精を出していたので将来自分が何をしたい、何になりたいなど、自分の将来を真剣に考えることはありませんでした。

 

環境的には大学に行くことが当たり前だったので疑う余地すらなく、ただ周りの雰囲気に流されて大学に進学したような感じです。

 

当然大学へ行っても、自分のやりたいことを学ぶために大学へは行っていないので面白くはありません。

 

ついに就職活動の時期には周りの流れについていくことはできず、

「就職をしないという選択」にたどり着きました。

 

しかし「就職をしないという選択」をするにあたり、周りからはネガティブな意見が多かったのは事実です。

 

「やっていけるの?大丈夫?」

 

「せっかく大学まで行ったのにもったいない」

 

「一度は新卒で就職しといた方が良いよ」

 

「社会では通用しないよ」

 

などなど….

 

少なくとも、私の周りにいた人の中には以下のような

 

「やりたいことやってみなよ!」

 

「自分の好きな道を選ぶなんてすごい!」

 

などのポジティブな意見はごくごく少数派にとどまったのです。

 

いわゆる「勝ち組」でも人生の迷子になる!?

 

私の経歴はごくごく普通ですが、一般的な日本人の感覚で見たら「大学卒業」までは勝ち組と判断する人もいるかもしれません。

でもその一方で、その生き方は「負け組」だと思う人もいるんじゃないかな???って思います。

 

つまり良い大学、良い就職先…

 

この概念はキリがなく、人生を勝ち組・負け組という何かの括りでカテゴライズすること自体が無意味のように思えてなりません。

 

当サイト「みんなの幸せ」のライターひと理・Marisaさんは難関国立大学の音楽系の専攻科を卒業し、音楽(ピアノ演奏)で生活できていますが、彼女自身は自分を「勝ち組」だとは思っていないようです。

 

marisa さんの話では、一時は自分の全てに自信が持てなかった時期があったそうです。

 

ただ外から見れば彼女の経歴は勝ち組そのものですが、人生の迷子になってしまうこともあるということをMarisaさんの体験を聞いていて思います。

 

☆Marisaさんのプロフィールはこちら

about ” marisa “

 

そして、名の知れた某大学の法学部を卒業した私・Sayakaも自分のことを「人生の勝ち組だとは思っていない」です。

逆に、就職せずに自由業に近い状態で生計を立てている今の人生を「負け組だとも思っていない」のは事実です。

 

自分流の生き方・暮らし方を見つける

 

さきほどお話したように勝ち組・負け組という世論に自らを当てはめて一喜一憂することは、ある意味自分の人生を、「誰かの価値観と比較して」判断しているような感じです。

 

私個人としては

「人生に勝ち負けはない」

と思っています。

 

自分流の生き方や暮らし方を見つけられたら、他人を羨むことも、自分の人生を何かの基準に当てはめることも無くなっていくのではないかな?って思います。

 

私自身もまた自分流の生き方や暮らし方を完全に見つけられたわけではないのですが、

自然に近い暮らしをしていると、

 

体調もよく心地よい気分でいられる

ことが多くなったことに気がつきました。

 

都会暮らしだった時はいつも咳をして、常に頑張らないといけないと思い込んでいるような時もあります。

(実際、都内のラッシュアワーは頑張らないと乗れないですし・・・)

 

都会暮らしと自然に近い暮らし

両方経験したからこそ、どっちが自分に合っているのか分かったような気がします。

 

とりあえずやりたいことをやってみる!?

 

つまり最初から当たりくじを引こうとせず、

色々な体験や経験をしてみることで自分流が見えてくるのかもしれません。

 

私も今の暮らしが自分流なのか?

はたまた

そうでないのか?は、まだ定かではありません。

 

もしかしたもっと自分好みの何かが見つかるかもしれません・・・笑。

 

この探求は死ぬまで続くのでは…?

 

そうゆう意味では...

 

常に自分探検中です。

 

 

私も目の前の日々を楽しみつつ、自分のペースで自分流を構築していきたいと思っています。

 

人生の迷子になった時に???

 

こんな私も、たまに「人生の迷子になる時」があります。

以前の私は、凹んだり悩んだりする時間もかなーーり長かったのですが、
今は自分で自分に対して以下のような質問をするようにしています。

 

・何がしたいのか?

 

・何がしたくないのか?

 

ただこれだけです。

 

心赴くままに日々を過ごすこと…

 

この感覚が後々自分流の生き方・暮らし方の礎になるのかなとも思います。

 

最後までお付き合い頂きありがとうございます。

 

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