感情を吐き出すのは「悪いこと」???
なんだかよくわからないけど、
なんだかはっきりしたい不安に駆られていたり、モヤモヤし続けたり、
気持ち的にいつも不安な状態を抱えている・・・
そんな経験を持っていらっしゃる方は
もしかしたら感情を自分の中に溜めすぎているのかもしれません。
そして、その実態が分からないことが、
さらにもやもやとした気持ちに拍車をかけるというケースもあるのではないでしょうか???
カタルシス効果って何????
実は、心理学の手法を使って この感情を解放させる方法があります。
それが カタルシスです。
たまたま見た映画や読んだ小説が、まるで自分の苦しさや悲しさを代弁してくれていると感じる。
このように自分の中から ドロドロした心の中のウミを吐き出すような感覚を得ること。
これをカタルシス効果と言います。
カタルシスは心理学用語ですが、現在では「鬱積した感情が解放されること」を表す言葉として、より一般的に使われるようになっています。
近年ではビジネスの場でも、
カタルシス効果をマーケティング手法の一つとして活用する企業もあるようです。
書くと気持ちが整理されて心が解放される。
普段から何となく不安や不便だと感じていることがあった場合、
自分の中では、その理由が うまく言葉にできなかったり、
なんだか不満や不安だけが心の中に溜まっていてスッキリしない(><)
でも、それが かゆいところに手が届く商品や体験を提供してもらうと、
「わかってくれている」「こんな商品が欲しかった」と感じ、
すっきりした気持ちになります。
これも、一種のカタルシスです。
◎自分の気持ちを書き出してみる
自分の気持ちを これまでに外に出すという経験が少ない人は、
例え文字で 感情を外に出すということがとても苦手です。
そういう人ほど、どんどん心の中に そのウミを溜めてしまっている場合が多いので、
まずは 心の中に溜まっている感情を解放してあげるという作業が必要です。
◎感情を外に出すのは難しい?
日本人の場合、感情をモロに外に出すのは恥ずかしい行為とされている文化があります。
特に ネガティブな感情ほど 見たくないという人も多いでしょう。
そういう場合、どうやってその感情を処理するか???
手っ取り早いのは 自分のノートに書き出すということです。
そのノートは人に見せる必要はありませんので
誰にどう思われるというのも気にする必要はありません。
ぜひ、ご自身のノートなどを利用して スッキリと書き出してみることをお勧めします。
アプリを使って感情を吐き出してみる
人に迷惑をかけずに 自分の感情を外に出す方法として活用できるのが
アプリの利用です。
アプリに自分の感情をぶつける分には、誰にも迷惑がかかりません。
https://goworkship.com/magazine/self-care/
どうしても感情をコントロールできない、
もしくは 自分の中に 溜まっている感情が多いな・・と感じていらっしゃる方は
こんなアプリを利用してみると良いかと思います。
感情を吐き出した後は、自分を冷静にみる練習をする
感情を吐き出して、心(脳)に隙間ができてくると 段々と自分を冷静に見れるようになってきます。
逆に言えば、感情が自分の中に 溜まり切っている間は、自分を冷静にみることができないので、
まずは、溜まっている全てを吐き出してしまいましょう。
その後に、次の段階、
「感情に振り回されないために自分自身を冷静に見つめる」という
作業に入っていくことになります。
◆自分自身を見つめるってどういうこと?
まず、感情と上手に付き合うためには「自分自身の観察者」になる必要があります。
皆さんも聞いたことがあるかもしれませんが「自分自身を見つめなさい」と言われたことがありませんか???
これを他者から言われて、「???」となる方、ぜひ以下の文章を読んでみてくださいね。
よく「感情をコントロールできない」という事が、しばしばマイナスのものとしてとらえられる場合がありますよね。
人間である以上、自分の感情を完璧にコントロールすることはできませんが、実際のところ「何にでもいちいち怒っていては疲れる」わけですし、何か嬉しいことがあっても人前ではある程度抑えなくてはならないケースもあるはずです。
そのためにも、自分自身の観察者になる(必要に応じてなれる)ことが大切だと思います。
◆自分自身の観察者になるとは?
自分自身の観察者になるということは、
「自分の状態や感情をそのまま感じ取れるようになる」ということです。
「理解できるようになる」ではありません。
「理解」というと考えてしまっている、価値判断をしてしまっているので、
「感じとる」という表現の方が近いかもしれません。
ここで大事になってくるのは、
「あなたはあくまで観察者」であり
「理解者」ではないということです。
いま「怒っている」
いま「悲しんでいる」
いま「喜んでいる」
いま「楽しんでいる」
など自分の感情を観察するだけです。
つまり、その感情を「見つめている」。ただそれだけの行為です。
理解したり、それに対して意味を見い出したりはしません。
プラスの感情であれば、
「○○だから楽しい!」「○○があったから喜んでいる!」と「理由付け」をしても良いかもしれません。
しかし、マイナスの感情に対しては
「理由(なぜそういう感情になっているのか)」を考えたり、「判断(その感情を抱くのは良いことなのか悪い事なのか)」をしない方が良い場合があります。
なぜかというと、マイナス思考がどんどん強固になってしまうからです。
例えば「悲しんでいるとき」に、「ママ友と喧嘩したから悲しんでいるんだ」と判断したとしましょう。
すると、
「きっとあの人は私が嫌いなんだろう」
↓↓↓
「もう会わない方が良いのかもしれない」
↓↓↓
「相手も私には会いたくないに決まっている」
など、
考えがどんどん悪い方向に
傾いていってしまうことがあるのです。
発生した感情を「理解」しようとすると、そう感じることが自分にとって正当であるための(理解可能であるための)ネガティブストーリーを作ってしまうのです。
自分の感情を感じ取る、ではなく
自分の感情の理解者になろうとしてしまうということですね。
そんなわけで、あまりモヤモヤと考えすぎるのは良くありません。
もちろん、必要に応じて「事実に基づいた反省」をすることが大事になることもあります。
◎「事実に基づいた反省」をしてみよう!
一例として、先ほどの「ママ友との喧嘩」において
「お弁当作らないのって楽だよね~」と言ってしまい、相手に「それって料理しない私への嫌味!?」と
言われ、相手を怒らせてしまったと思い、私が落ち込んでいる
としましょう。
そこで「事実に基づいた反省」をするとしたら、
〈事実〉
「それって料理しない私への嫌味?」と言われれたこと
〈反省〉
・こういう言い方はもうしないようにしよう
・思ったことをすぐに口に出す癖があるから気を付けよう
など
の内容になるはずです。
しかしこれが、
・きっと嫌われてしまったからもう関わらないようにしよう
・この先色々な人を不快にさせてしまいそうだから人付き合いを控えよう
などと考えしまうようでは、
もう「反省」というよりも「予想」になってしまいます。
「嫌われてしまった」かどうか、「この先人を不快にさせる」かどうかは全く根拠のないことなのです。
その予想が正しいかどうかわからないのに、予想に基づいて行動を抑制してしまうことによって、「嫌われている」「人を不快にさせる」という思い込みを
さらにリアルなものにしてしまう可能性すらあるのです。
「起きたこと」をそのまま捉えた方が、効果的な反省ができます。
これが、自分自身の観察者になるということです。
◎「肉体的な痛み」に対しても応用できる
実はこの考え方は、肉体的な痛みでも応用できます。
ここでは「頭痛」を例に挙げて考えてみます。
頭が痛くなったときに「良いこと」とも「悪いこと」とも捉えずに「単なる痛み」として捉えると気持ちが楽になる場合があります。
ただ、実際には「痛み=悪いこと」と考えてしまう方が大半だと思います。
しかし、そうなると余計な感情が働いてエネルギーを無駄に消費してしまうかもしれません。
痛みを感じている自分に理由を探し始めてしまうと、
不安から、苦しむ自分を主人公にしたネガティブストーリーを作ってしまうかもしれないのです。
痛み自体には、「良い」も「悪い」もありません。
ですから「痛い」ときは、「取り除きたい痛み」なのか「そうでもない痛み」なのかだけを感じ取って、「取り除きたい痛み」であれば、頭痛薬を飲んだり眠ったりするなどしてみましょう。
「取り除きたいってほどじゃないな」と感じたのであれば、あとは普通に過ごしてみましょう。
これが、「自分自身の痛みに対する観察者」としての
事実に基づいた対応になります。
◆観察者になれないときは「天井」に憑依してみる
ときには自分自身の観察者になるのが難しいときもあります。
そんなときにおすすめなのが「憑依」です。
もちろん霊的なものではなく、感覚としてのお話です。
まずは意識を「天井」、外にいるのであれば「空」に向けてみてください。
そして、自分の意識がどんどんその天井に流れ込んでいく様子をイメージします。
あなたはだんだん天井と一体化し、天井として自分自身の後頭部を見つめることになります。
すると「あ、自分は今こうなんだ」とご自身を客観的に観察できるようになります。
あるいは、「幽体離脱した自分が、自分の身体を見下ろしている様子」を思い浮かべてみるのもいいかもしれません。
とにかく「第三者目線で自分を見てみる」ことが大事です。
◆第3者になる・・・実は誰でも経験がある?
それでもピンとこない方は少なくないと思います。
こんな経験はないでしょうか?
・学生時代に先生に怒られているのに全く関係のないことを考えていた
先生のお説教はちゃんと頭に入っているのに、「なんかこんな風に怒られているのってシュールだな……」と考えてしまった……。
そのときの感覚が「第三者目線で自分を見てみる」に近いと思います。
その上で、「この記事を読んでいる自分自身」を「あ、なんか【私が】記事を読んでるな」と捉えることができれば、自分自身の観察者になるための第一歩を踏み出せたことになります。
一度「あ、こういう感覚か!」と実感できてしまえば、そこからは比較的楽に自分を観察できるようになるはずですよ。
感情が発生したときに、
「理解」しようとすると、自分にとって好ましくない感情は
正当化のための、根拠のないネガティブストーリーを展開しがちです。
しかし、
感情には良いも悪いもありません。
そして、その感情が発生した自分にも良いも悪いもありません。
観察者になれば、
良い悪いの判断をせず、ただ観察をするだけなので
自分の感情を否定する必要も、正当化の言い訳をする必要もなくなるのです。
目を背けなくていいので、
自分のことを無視しなくてよくなるのです。
今日のこの記事があなたの生きるヒントになれば幸いです♬
今日も訪れてくださりありがとうございます🧡
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