- なぜ人と自分を比べてしまうのか?
今日は「人と比べてしまうこと」をテーマにお話しを進めていきます。
さらに「本当は人と比べたくないのだけれども、つい人と比べてしまう!」そんなどっちつかずの状況で、心が楽になるヒントをお伝えできればと思います。
まず、私自身のことをお話しさせてください。
数年前の私は、「人と比べては勝手に落ち込んだり、喜んだり一喜一憂していた人間」のひとりでした。
今となっては、
「人と比べるのをやめましょう~ご自身に集中しましょう~」と、いろいろなところでよくお話しさせていただいています。
かつての私が、「なぜ自分と人とを比べていたのか」ということを振り返ってみると、
それは「他人との比較の中」に「自分の価値のようなものを見出そう」としていたからだったのではないかと推測しています。
つまり自分で自分の価値を認めてあげることができなかったため、自分を他人と比較することで、「自分の価値を見出していた」のかもしれないと思うのです。
時代的なこともあったのかもしれませんが
私の親も私に何かを伝えるときに
いとこの○○ちゃんはあーだこうだ、
○○さんのところの○○ちゃんはどことかの大学に受かったのどうのこうの。
子供の頃はいつも誰かと比べられていたような気がしています。
今思えば、母親もそういう育て方をされてきたからそうなっちゃったんだろうなーと離れた感覚で考えることができるのですが
いつも人と比べられるのがシンドイなーと思っていたのは私の中での事実です。
「人と比べないこと」とは?
私を含め多くの人が
「他人と比べるのをやめましょう」
という類の言葉を話すことがよくあると思います。
ヨガやピラティスも「スポーツのように身体を鍛えるもの」という認識を持つ方も多いのですが、
実は、ヨガやピラティスの本来の姿というのは、自分の中を感じましょうという捉え方をしています。
つまり、何をしていても「自分の意識をより深いレベル」に置き、自分で自分のことをコントロールしていくことを目指しているのです。
私自身はヨガやピラティスは趣味のレベルなので語れるほどの情報は持っていないのですが
実際、自分をほかの人と比べている間は、本当の自分自身になれないという考えになっているのかもしれません。
この説明ですと漠然としていてわかりにくいかもしれないので、もうちょっと噛み砕いて具体的にお伝えしていきますね。
例えばよそ見をしている時に人とぶつかってしまったり、つまづくことがあったとします。
もしくは、テレビを見ながら何かをするなど
2つのことを同時に行っている時というのは、意識が分散しているため1つのことに集中できていない状態であると言えます。
人と比べている地点で自分と他人、対象が2つ以上になりますので意識が分散してしまいます。
なので、自分に100%集中するのが難しくなるのです。
優越感や劣等感は自分に集中していない時に起こる感情
「人と比べない」
これが実践できるに越したことはありませんが、
人と比べないというのが頭で分かっていても、人と比べてしまうことも時にあると思います。
では、なぜ私たちは自分のことを「人と比べてしまう」のでしょう?
おそらく私たちが育ってきた過程の中で「競争」や「比較」をされてきたことが大きな要因になっていると思います。
なので、急に「比べない」という意識を持つことがとても難しく感じる方もいらっしゃるかもしれません。
では、「比べる」ことで得られるメリットとデメリットを考えてみましょう。
<比べるメリットとデメリット>
「比べる」という行為は、自分の順位や立場で、優越感を持ちたいという感情を満たされることになります。
ところがこれは、優越感を感じられる裏返しとして「劣等感」を感じてしまうというデメリットも持ち合わせています。
言葉の意味としての優越感と劣等感とは…
優越感とは、他者よりも自分のほうが優れているという評価を得たときの喜びを伴う感情。
劣等感とは、自分が他人より劣っているという感情。
つまり「優越感」や「劣等感」というのは自分に集中している時には感じません。
「優越感や劣等感を感じる時」というのは、比較対象する存在があり、何かと比べての結果、
ご自身の感情がプラスかマイナスに動く感情の反応だということです。
人と比べてしまうと自分の可能性を制限する
瞑想というのはいわゆる「無」の状態を目指す自己鍛錬の一種です。瞑想の最中は、一切の感情が働いていない状態であると言えます。
つまり「比べる」という行為は「無」の状態になることを遠ざけてしまうことになるということです。
「無の状態」というのは「宗教で目指すもの」というイメージを持つ方も多いかもしれませんが、この
「無」の状態は、スポーツ界ではフロー状態と言われています。
そして、同じ状況をヨガの世界では瞑想状態として呼ばれ、簡単に言えば全てが思い通りにうまくいく、無敵状態のことを指します。
スポーツ界の方や宗教やヨガの世界に限らず、一般の方でも「重要な場面で自分の能力を出し切れず悔しい思い」をした経験をしたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?
そんな場面を振り返ってみると、自分に100%集中できていたでしょうか?
他者に何から影響されて、感情をコントロールすることができず自分の力を出し切れなかったという経験。
何かにチャレンジされてきた方であれば、自身の体験としてお持ちの方もいらっしゃると思います。
実は、どんな人でも、簡単に「無」の状態を作り出すことができると言われています。
つまり、自分の力を出せるか、出せないかの結果は本人の実力や技術以外にもメンタル面での影響があるということです。
一流アスリートがヨガやメンタルトレーニングの書籍を出版されている背景には、メンタルトレーニングの大切さを物語ります。
そんなメンタルトレーニングの一つが「人と比べないこと」に通じているのです。
比べる癖がある人は、自分と同じ人間を探そう!
「比べているうちは自分の能力を最大限に発揮することができない」
そのことを知識として分かっていても無意識的に比べている自分に気がつくこともあります。
まだまだ修行が足りないと言われてしまうとそれまでなのですが、比べている自分に気がついた時に私自身工夫していることがあります。
それは「比べる対象を間違えていないか?」ということをいちいち自分に問いかけるようにしています。
「比べる対象を間違える」ということは、自分の年齢や立場など異なる人と比べていないかということです。
「言い訳」は自分を守ること???
できない理由ややらない訳を年齢のせいや経験値のせいにするのはとても簡単です。
そうすることである意味自分を守ることもできます。
しかし少し視野を広げてインターネットでも検索すれば
自分と似た境遇や立場の人で自分ができないと思っていることを簡単にやってのけている人は沢山います。
そうした人がいるということを知るだけでも励みになる方もいれば、自分も頑張ろうと思う方もいらっしゃるかもしれません。
例えば同じ病気やその経験をした人にしか本当の意味でその人の感覚や感情を理解することはできません。
病気だからできないこと、そのことに関して同じ病気になったことがない人にとっては
「病気だからできません」
と言われてしまえば、
「はい、そうですか」
としか言いようがありません。
逆に病気になったことがない人に
「病気だからできないというのは言い訳ではないですか?」
と言われてしまうと
「あなたには私の気持ちが分からない!」
と感じる方も中にはいらっしゃるかもしれません。
こうなってしまうと、それ以上先には進めません。
だからこそ比べる相手を間違えてしまうと自分の可能性も制限してしまうことになりかねません。
つまり同じ立場や同じ経験をした人の中で、それを克服した人やできている人の在り方というのを自分と比べてみるとより良いヒントが得られるのではないかなと思います。
自分と違う年齢や立場の人と比べるのをやめて、自分と似た人間と比べてみると
「やらない理由」、「できない訳」ではなく、
「やる理由」、「できる訳」を見つける足掛かりになるかもしれません。
あなたは「本当にそうなりたい!」と強く願っていることはありますか?
もしあるのでればあなたに似た境遇からあなたにとって憧れの人生になった人を探してみることをおススメします。
きっとあなたの願いを叶えるために有益な情報が得られるかもしれません。
今日も応援しています。
あーやっぱりそうですよね。うんうゆ。他人と比較するというくせにおちいりやすいので、とてもよくわかります。急にはかわれなくても、少しずつクセからぬけだしたいです。
梅雨皿の後のニジを待ちわびて(^^)
コメントありがとうございます(^.^)(-.-)(__)
体の癖があるように、心の癖もあって当然ですね。
なんとなくの推測ですが、幸せな人って幸せな思考癖があるんだと思います。
楽しんでいる人の周りにだけ楽しいことがあるわけでなく、楽しいことを見つけられる視点があるから楽しい人になれるように...
いつもありがとうございます(*^^*)
Sayaka
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