Minna です。
今回は、親としてしも、
指導者(講師・先生)としても、
とても大事な「見守る」という行為についてお話をしてみようと思います。
興味がある方、どうぞ最後までお付き合いください。
育てるに30年、関わってきて。
私自身は、「生徒を育てる・伸ばす」& 「自分の子供を育てる」ということに関わってきて 30年以上が経過しています。
この30年もの経験の中で、色々感じてきたことがあるので、今回はそんなことについてつぶやいてみたいと思います。
ひっぽかすは最強の育て方?
唐突なのですが、主人の家と 私の家の育て方の違いについて私が感じたことをまずお伝えさせてください。
私の主人は 新潟県の佐渡(佐渡島・昔の罪人が流された島)の出身です。
佐渡の方言に「ひっぽかす」という言葉があるのですが、
なんとなくイメージがつくと思うのですが
意味は
・ほったらかしておくこと
・何もせずにおいておくこと
です。
実は 主人の両親は (戦争もあって)最終学歴は「旧制小学校」です。
要するに 小卒ですね。
ところが 主人も 義理の妹も(佐渡に予備校がないというのもありますが)
2人とも、まぁまぁレベルの高い大学を卒業しています。
その一方、私はというと 東京生まれの東京育ち(江戸っ子)。
母子家庭だったので(母が 私を不憫に思って 音楽教室、そろばん、お習字,、お絵かき教室,学習塾etc…
母親か面倒を見られない分、お金で解決したのだと思うのですが
幼少期から お稽古&塾 に行っていて、
大学受験の時も 予備校に行ったけど、今ひとつ成果が出せず💦
恥を晒すようですが、
主人の家の 子供の育て方と
我が家(私の母親)のやり方を 比較してみた場合、
手をかけられた私の方が 結果が出ないというか???というのを感じていました。
義母(主人のお母さん)は、周りの人から「あんたんとこ、どうすりゃ、そんな立派な子供になるん???」
みたいなことをよく聞かれたらしいのですが、
義母はいつも「ひっぽかすことさー」と答えていたそうです。
多分なのですが、
手をかけなければ、「自分でやるしかならない」= 子供は 目的を果たすためには自分でやらなければならないので、その分、「育つ」のかなぁ????と思うのです。
帰省すると雲隠れする義母
義母に関しては、「なんで???」って思ったことが色々あります。
その義母ももうすでに他界してしまったので、義母の本当の気持ちを確認することはできないのですが、
若い頃は、なんでお母(義母)さんは、私に冷たいんだろう???
って思ってきたことも
今思うと、実はそれって「愛情だった?」と感じることが多々あります。
そう思うお話を2つお伝えしようと思います。
①午後になると姿を消してしまう義母
主人の実家に行くと、「ままごせえ」=ご飯を作る仕事 は、嫁である私の仕事になります。
3時ごろから買い物に行き、私たち(帰省組)+ 元々の実家のメンバー の夕食の支度を全部私がやるのです。
いつからそうなったのか?私は覚えていないのですが、
かなり前から、午後になるとお義母さんは姿を消してしまいます。
仕方ないので私は一人でなんとかするしかありません。
わからない台所(どこに何があるかすらわからない 笑)で、数日間、ご飯を作り続けます。
30年も経過してしまうと、なんだか当たり前のことになってしまいましたが、
今思うと、逆の立場だったらどうだろう???と思うのです。
「知らない子が来て、キッチンを荒らし、訳のわからない夕食を作り、それでも黙って見ている」
↑↑↑
これって 意外とシンドイことなんじゃないかと思うのです。
ということは、口を出さないために、私に自由にやらせるために、お義母さんは姿を見せなかったのかも???
そんな考えも成り立ちます。
②孫の浴衣をどう着せる?????
もう1つ、とても記憶に残っている話は、娘の浴衣です。
義母は着物が大好きで、私にも娘にも着物を作って(買って)くれました。
娘が3歳くらいだった頃、かなり良い生地で浴衣を仕立ててくれたのですが、
それを着せようと思った時、な、な、なんと義母がいなくなってしまったのです。
ええええええーーーーーー
私、子供に浴衣なんか着せたことないんだけどぉーーーー????
と思ったものの、子供は楽しみに待っているし、
誰もいないので 自分でなんとかするしかありません。
それ以降、私は 娘の浴衣を自分で着せるということを学び、
(茶道をやっていたこともあったけれど)
最終的には、娘の卒業式の袴は自分で着付けるというところまでやりました。
そう考えると、「ひっぽかす」は最強の愛情だったんじゃないかと思ったりもするのです。
生徒さんの親のひっぽかし
最後に、生徒さんの親の「ひっぽかし」についてのお話をさせてください。
私がピアノを教えて、それこそ30年もの年数が経過しているのですが、
この経験の中で感じているのは、やっぱり「ひっぽかし」の親の方が 「最強」ということです。
ピアノ演奏というのは、人よりも上手になるとか? コンクールで1位になるということよりも
とにかく「続ける」ということの方が大事だと 私自身は思っています。(もちろん そうじゃない考え方もあると思います)
その時に大きな花は咲かなかったとしても、長く続けていさえすれば
学校で伴奏の係に指名されるようになったり、そのうちバンドを組んでお友達と音楽を楽しんだり、
吹奏楽部に入るという生徒さんもいます。
私の中では、ピアノ教室というのは、その土台を作ってあげるところだと思っている部分があり、
少しでも長く教室に通ってもらえるというのがいちばんかなぁ・・・と思う部分があります。
そして、うちの生徒さんは なんとなく高校卒業(それ以上まで)続けてくれる場合も多いのも事実です。
そんな中、どんな生徒さんがつづくのか?というと
まず、「お母さんがピアノをやったことがない」というパターンがいちばん続くようです。
「私はピアノはわからないから・・」= 口出さない なんじゃないかと思うのです。
悪い例として
私自身は娘に口を出しすぎたような気がします(汗)
なので、ピアノは中学生くらいでやめてしまいました。
でも、ピアノの蓋を開けて たまに遊んでいるから、それはそれでいっかーと思う部分もありますが・・
ま、結局、彼女(娘)の人生ですし、
娘もまだまだ若いので、これからピアノ再開する!!!もあるかもしれないし
娘のピアノ人生が終わったわけでもないので、
その「種」は彼女(娘)の中にはある・・・というところで
私の自己満足でヨシとしようと思います(^^;
子供のお稽古ごとは、特に幼少期であればあるほど「親のエゴ」が強いので、
大事なのは、子供のエゴが出てきたときに、
子供中心にできるのか???ってところがポイントなのかなぁ???と思ったりしています。
最後、取り止めのない話になってしまいましたが、
「ひっぽかす」というのが、教育にとってはすごく大事で、
そしてその「ひっぽかし」ができないというのは、子供の課題じゃなくて 親自身の課題なのですよね・・・
なんてことを つぶやいてみたくなりました。
何かしたら、読んでくださった方のヒントになったとしたら幸いです。
今日も 応援しています🤗
Minna でした。
コメントを残す