損得勘定は最終的に「実は損」?
Minnaです。
今回は、「損得勘定で生きていく」と最終的にはどうなるのか?というお話をしていこうと思います。
私自身、人のことは言えないのですが「損か?得か?」で生きていた時期がありました。
ただこの「損得勘定」で全てを判断していくと、「結果的に自分がどんどん辛くなっていき、一生幸せになれない」という事実に気づいたのです。
今回はそんなお話です。
最後までよろしくお願い致します。
さて、自分自身が「これ損だな」「これ得した!」その感覚って本当に合っているのでしょうか???
損なこと、得なことと自分が判断したことが本当に合っているか?というのは実はわからないのです。
自分自身で「これは得」だと判断したことでも、別の目(視点)からみた場合にはすごく「損している」という場合もあるかもしれません。
・これが損
・これが得
こう考えるこの基準(その人の中のモノサシ)って、人によって様々ですし、
またこれを「短期的にみたら」「長期的にみたら」で その答えは変わってしまいます。
「わー すごく得した!」
と思ったことが、実は長期目線で見たら「ものすごく損した」という場合も多いという場合もあります。
例えば、
何かのレッスン料を支払うと仮定します。
①年間5万円のレッスン料と
②5年で20万円のレッスン料と
パッと見、金額だけ見ると②の方が高い!と感じる人が多いと思います。
でも計算してみるとわかりますが
①の月々のレッスン料は 4,166円
②の月々のレッスン料は 3,333 円
月額比較で見ると832 円の差があります。
これを5年計算で比較すると 49,960の差。
つまり
①で5年学んだ場合
②で5年学んだ場合
①と②では 5万円の違いが出てしまうのです。
これはたまたまレッスン料ということで書き出しましたが、
お金以外の面でもいろいろな比較ができます。
例えば、
・その人が2年しか学べない状況だったとか?
・2年後に転勤してしまった場合とか?
そんな状況の違いによっても損得は変わってきます。
今回は、お金の面での損得で比較しましたが、
レッスン料は高いけど、「すごく教え方が上手で自分に合っている教え方をしてくれる先生だ」とか、
「レッスン料は安いのだけど、身につかないレッスンの内容だった」など
損得というのは、人により環境により状況により変わってしまうというのはご理解いただけるかと思います。
損得勘定で生きる人生とは?
損得勘定で生きるというのは、いつも「自分が得」しているというイメージがあるかもしれませんが、
実は、恐ろしい一面を持っています。
いつも「その人が得をしている」ということは、その人は、他者のことよりも自分のことを優先させてしまう考えを持っているという事です。
いつも他の人のことではなくて、自分のことしか考えていない、つまり自分勝手な人ということですよね?
そして、本人が気づいていない場合が多いのですが、「得がある」ということは、その人と関わる人は必ず「損をする」ということになってしまいます。
全ては 「対」になっているので、損があれば「得」があり、「得」があれば「損」が存在します。
その人は自分が損になることはしませんし、自分が得でないと嫌だという気持ちが働いてしまいます。
となると、その人がいつも「得」をするということは、対象となる人は「損」をするということですよね???
その人といると「損」をする気がする・・・ そんな人と一緒にいるってどうでしょうか???
前述しましたが、そもそも何が得で何が損なのかというのは、状況や背景によって変わります。
つまり、その損得は その人が作り出した「幻想社会」の中での損得であり、他の人から見た場合、その損得は当てははまらない場合も多いのではないでしょうか???
損・得っていったい何???
お金の損得って???
お金の損得っていったい何なのでしょうか?
増えるのか得で、減るのが損???
こういう考え方だったら、お金を使わない人ばかりになってしまいます。
お金が減る、つまりお金を使うことで「得になる」という場合もたくさんありますよね???
ショッピングなどは良い例です。
お金は減りますが、幸せになる人が多いのではないでしょうか???
時間の損得って?
次に「時間の損得」について考えてみましょう。
時間が減るのが損で、たくさん時間が使えるのが得??? そんな考えも成り立ちませんね。
楽しい遊び、夢中になれることをたくさんする、つまり時間をたくさん使う。→時間が減る
この状況で幸せになる人もたくさんいます。
人間関係の損得???
この人と付き合うこと(一緒に時間を過ごすこと)は損で、あの人と付き合う(時間を過ごすこと)は得?
こんな考えも不自然ですよね???
全てに関して「損得」を計算している人、もし本当にそんな人だったら、で本気で仲良くなりたいと思う人ってどうなのでしょうか???
何度もお伝えしていますが、その人の損得の基準はとても曖昧なものです。
そんな曖昧なもので「損得」は決められないですよね???
損得を考えていることが実は損?
実は、常に「損得」を考えるクセを持っていること自体が、実は幸せになれない大きな原因だったりします。
「常に損得を考える」ということは、損得を「推し量る」ために「相手」を見付けなればなりません。
つまり、常に 対象物を探さなければならないのです。
対象物、もしくは比較する人を見つけて その物(その人)と比べて得している、損していると自分の中での 空想の世界(幻想の世界)の中で優越に浸っているということでしょうか???
そして自分が「その人よりも上と思えば、幸せ」になり、その人より下と思えば、不幸になる。
そんな人生を歩いているということになります。
そして その上下、もしくは「損得」の基準もものすごく曖昧で何の根拠もないのです。
損得を基準に考える場合、自分ひとりでは幸せになれないので(比較対象がいない)常に自分よりも下の人を探し続けるしかないというトリックにハマってしまいます。
このトリックにハマっている人の場合は、常に(永遠に)幸せは訪れません。
なぜなら 、これも再三お伝えしていますが「相手を見つけて幸せになる(不幸になる)」を繰り返しているだけなので、ずっと幸せはあり得ないのです。
では、どうすれば「ずっと幸せ」になれるのでしょうか???
それは、
「絶対に損をしたくない」
「もっと得をしたい」
という気持ちを捨てること。
この気持ち(考え方)を持っている限り、常にストレスを抱えているということになります。
そもそも「損得」には何の基準もないですし、
人は損をすれば不幸になり、
得をすれば幸せになれるとというものでもありません。
損する・得するという、そんな曖昧で不確定なものを指標にして人生を生きるのはもったいないことだと思うのです。
損得で生きる道を決めるのではなく、
自分好きなもの、やりたいこと、ワクワクすること、と思うような自分のセンサーを信じて生きていく方がずっと得なんじゃないかな?と筆者は考えます。
自分が好きなように生きるとは???
これまで「損得」を基準に生きて来た人は、実は自分自身のセンサーが鈍って来ているという場合も多いです。
自分自身が何にワクワクしたのか?
自分自身が何に対して楽しいと思うのか?
自分自身が没頭していられることって何なのか???
↑↑↑
これまで「損得」を基準にして来た人は、自分のセンサーが鈍っている場合があります。
でも心配はいりません。鈍っているだけですから「気づいて自分の心に聞く」ことを続けていけば、自分のセンサーは絶対に答えてくれるようになります。
せっかくこの世に生まれて来て自分の人生を歩いているのですから「人と比較しない人生」を生きた方が良いと思うのです。
損得を考える=人と比較する が癖づいてしまっていると思うのですが、
人と比較して損得を感じる人生よりも、誰とも比較せずに自分が最高だと思う人生を歩いた方がずっと自由で楽に生きられると思うのです。
人と比較して選ぶのではなく、自分がしたいこと好きなように選んで生きる、
これが「あなた自身の幸せ」への道なのではないでしょうか???
自分で選んで、自分で生きる
ありふれた言葉ですが、人生は「選択」の繰り返しです。
今の人生もあなたが選んだ人生です。
自分の人生はどんな時も自分で選んで生きています。
ですから、
1,人と比較する「損得」を考える人生も
2,人と比較しない「自分軸で生きる」人生も
1か?2は自分で選べば良い、それだけです。
今までも選んできたし、これからも好きな方を選べば良いだけです。
全て自分で決められます。
あなたが選びたいのはどちの生き方ですか???
今日も応援しています。
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