男性も女性もヨガをしよう!感情のコントロールと人生の幸せ

ヨガってそもそもなんなんだろう?

 

Body&Mindコーチ、ヨガインストラクターのSaayaです。

今や女性の習い事ランキングの上位にランクインしているヨガ。

今日のテーマは「ヨガってなに?」という根本的な部分を紐解いて解説していきたいと思います。

興味のある方はどうぞお付き合いくださいませ。

ヨガは今では男女に人気!

 

一時的な流行りではなく美容や健康を保つ目的でヨガをされている方も多い中で、今やヨガは男性の間でも人気になりつつあります。

なんとなく日本では「ヨガ=女性」みたいなイメージも強いかもしれませんが、今や起業家やアスリート、その他さまざまの職種の方が

ビジネスやパフォーマンの向上のためにヨガをする」

という、美容や健康以外の目的でヨガをしています。

 

そんなヨガが大人気の世の中ですが、そもそも「ヨガ」とは一体何のために行うものなのでしょうか?

そしてみなさんは「ヨガ」というものをどう捉えているのでしょうか。

 

なぜ「ヨガ」という名前なの?

 

そもそも「ヨガ」というネーミングが結構不思議な響きですよね。なんとなく「日本語的」ではありません。

 

この「ヨガ」という名前はサンスクリット語の「ユジュ」というものから来ています。

「ユジュ」と何回か繰り返して言うと

 

ユジュ、ユジュ、ユジュ、ユジュ、ユジュ、「ヨガ」になる……でしょうか?(笑)

 

「ユジュ」とは「軛(くびき)」のことを意味します。

 

「軛(くびき)ってなに?」という質問が聞こえてきそうなので、

ここで説明させていただきますと、

これは、荷台を引っ張る馬や牛の首の後方にかけておく横木のことです。

 

馬や牛はいつもせっせと動き回り、なかなか行動を予測することができませんよね。

そして、同じく「色々な方向に動き回り、自分でもどうなるのか分からない」というところが「心」と一緒なので、この「ユジュ」が「ヨガ」の名前の由来になったのだと言われています。

 

誰しも感情を抑えきれなくなる時、

いつの間にか○○していた、気が付いたら○○と言っていた……という経験をしたことがあると思います。

こういう行動をする際には自分で心を制御できなくなっていますから

「心が暴れ回っている状態」と言えます。

 

冷静になった時にその時の行動を振り返ってみると、

感情に任せた言動は普段の自分からしてみれば少々恥ずかしいと感じる、または大人げない行為であることが多いかもしれません。

 

後から「やってしまった…」と後悔するようなこともしばしば…

 

「どの程度暴走するか」は置いておいて、心が暴走することが多くなってしまうと、心にしまっておくべきことまで言ってしまったり…

 

「本来の意思とは違うけれど、相手や自分を攻撃するような言動」

 

をしてしまうことも多く、信用を失ってしまう結果にもなりかねません。

 

これでは、相手もそうですが、自分自身も傷付いてしまいます。

 

こういったときには必要なことは感情にまかせて相手を罵ることでもなく、自分を卑下することでもなく

「自分のありのまま感情や感覚を観察すること」です。

言い換えると自分自身の「心のコンディション」をしっかり見つめるということです。

 

「ありのままの感情や感覚を観察する」とは?

 

「自分のありのままを観察する」とは、具体的にはどんなことを指しているのでしょうか。

ざっくり簡単に説明をしますと「感情が膨らんでいくのか、しぼんでいくのかをただ眺める、観察する」という事です。

 

このとき大切なことは「これは怒りの感情だ!」「これは悲しみの感情だ……」などと、あえてその感情を分類したり、制限したりとしないことです。

なぜなら感情は「ただ発生するもの」、「一時的な反応の一種に過ぎない」からです。

 

そのときは「一生悲しいままなのかな……」「この怒りは一生続く!」などと感じても、永遠にその感情をキープすることは不可能です。

 

言うなれば「水」の性質の変化と一緒です。

 

熱湯の場合はそのときは火傷するほど熱かったとしても、放っておけば自然と常温の水に戻っていきます。

 

氷の場合も、冷凍庫から取り出しテーブルの上に放っておけば自然と常温の水に戻っていきます。

 

感情もそれと似たようなもので、どんな激しい感情であっても、しぼんだり膨らんだり、膨らんだりしぼんだり、膨らんだり膨らんだり、しぼんだりしぼんだり、しぼんだりしながら、だんだんと収まっていくものなのです。

「この人間の「心の性質」に注目して、ありのままの自分を見つめて受け止めること」

がヨガの本質です。

 

ヨガで自分の心を受け入れましょう

 

人間は自分でも気がつかないうちに、物事の順位や優劣を判断して、何かを分類したり区別したりするものです。

どの程度気持ちが左右されるかは、「どのような人と出会ってきたか」「どのような環境で過ごしてきたか」などにその人の過去に左右されます。

あなたの中にも無意識的に自分の所属を決め、「こういう自分でいるべき」「こういう自分でいることは避けるべき」など、過去の経験に基づき自分自身にも点数をつけたりしている自分はいませんか?

本来のヨガとは、「分類・評価・点数付けすること」とは縁遠いものです。

 

ヨガは「実際の『状態』をただ見つめるだけ」ものですからね。

もちろんその『状態』を変えようなどとはしません。

「ただ見つめる」ことに専念して、その感覚が習慣化していくことで少しづつですが一時的な感情の高まりに左右されることなく、心と体のコンディションが整っていきます。

「そんなことできないよ……」と感じている方もいるかもしれませんが、まずは1日1分からでも「自分自身の心に専念する時間」を確保するようにしてみるだけでもトライしてみてはいかがでしょうか?

何も「1時間も2時間も集中しよう!」というわけではないんのです。

ヨガをする環境も工夫してみては?

 

ヨガはどんな環境でも行えます。

騒々しい場所では集中しにくいかもしれませんが、そのときはそのときで「なんだかうるさいなあ」と感じている自分自身を見つめることになるかもしれない、というだけです。

ですが「できればもっと穏やかな環境で……」と思うのであれば、自然を身近に感じられる場所に出掛けてヨガをしてみてはいかがでしょうか。森、山、海……などなど。

何もカッコよいポーズをとることがヨガの目的では」。がありません。

足ったままでも、座ったままでも「ただ自分の状態を見つめる」ことがヨガなのですから。

 

「ああ~私は気持ちが良い」

「ああ~私は悲しい」

「ああ~なんだかソワソワする」

こんな具合でその時感じる、感じたことを客観的に取り出して感じとり、観察する。

静かで新鮮な空気によってより集中力が上がるかもしれませんし、人によっては特に何も言語化せず、「ただ心を見つめるだけ」だと考えておいた方が良いかもしれません。

冷静に考えれば「さあ、集中!」と心の中で考えてしまうだけでも、集中できていませんよね。

それこそ「ああ~私は集中できていない~」ということに気がつければ上出来です。

ですから、そもそも「集中」なんて概念自体必要ないのかもしれませんね。

だって「ただ心を見つめるだけ」なんですから。

 

この記事が誰かのお役に立てれば幸いです。

ここまでお付き合い頂きありがとうございます。

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